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自分の直感を信じる

なんか気持ちいい(⇔不快)

なんか惹かれる(⇔距離を置きたい)

なんかこの言葉しっくりくる(⇔違和感ある)

なんかこの人と居るとホッとする(⇔疲れる)

なんかわくわくする

なんかあの人にLINEしたくなる

なんかこのままじゃいけないきがする

なんか未来が描けない

なんかこの人とは将来一緒に仕事している気がする

などなど

 

あなたは、理由を説明して?と言われても簡単に説明できない、

何故かわからないけど、ふとこんな考えが浮かんだ、

なんてことはありませんか?

要するにそれは直感と言われるものです。

 

メンターと出会った最初のころ、

直感と言われる

「なぜかわからないけど・・・」

「ふと・・・」

これらは、自分の人生の羅針盤だから、

その直感に従うことの方がスムーズに、

自分の人生を自分らしく生きることができる。

と教えて頂き、

そのスタンスを出来るだけ守るようにしてきました。

しかし、自分の直感に気付き、それを基に行動するには、

自分の心身の状態を良くするなどのコツがあります。

エゴや欲、非合理的ビリーフ、不安や恐れ、罪悪感、自己否定感など、

手放さなければならないものもあります。

直感だ!と想って進んでいたら実は違ったということもあります。

直感(自分の本心)だけで生きられたらそれは理想なのかもしれませんが、

収入、家族、のことなどもあるのでバランスも必要です。

 

「直感」の感度や、「直感」の使い方が未熟な私は、

直感とつながり、それに従って生きる術を学ぶことも、

8年間、プロのメンターをメンターに就けてきた大きな理由の一つです。

 

しかし、8年も学んできたんだし、もうそろそろ、

自分の直感をもっと信じてみようと想います。

そのために、昨日の投稿にも書きましたが、

「余白」の質を上げ、心身共に余裕を持ち、

直感に繋がり、いったん自分できちんと内省して、

焦らず決断し、でも決断したらスピーディーに行動に移す、

ということを心掛け、自走できるようにしたい、

いまそういう時期に来ている。

それこそ、なぜかわからないけどそんな気がします。

しかもその圧が強いです。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

「余白」の捉え方が反転する

今、山崎晴太郎著 日経BP発行

余白思考
アートとデザインのプロがビジネスで大事にしている「ロジカル」を超える技術

という本を読んでいます。

 

この本を読んで、

「余白」に対する捉え方が180度変わり、

自分の中にあった非合理的ビリーフ(思い込み)と、

その非合理的ビリーフがあることによって抱く、

ネガティブな感情に気付くことができました。

 

まず、余白の捉え方です。

著者は、余白の「余」は、

余分の余ではなく、余裕の余という捉え方をしていらっしゃいます。

具体的には、

『「余白」は、「何かを書いたあとに残ってしまったスペース」ではなく、

「書かれている何かを引き立たせるために、あえて余らせているスペース」

「あらゆるものが入る可能性にあふれた空間」

「本当に大事なものを守るために、あえて余らせている時間や力」。』

とおっしゃられています。
(『』内 山崎晴太郎著 日経BP発行 余白思考より抜粋)

 

なるほど~。と想いました。

今まで私は、「余白」は残った部分、余った部分という捉え方でした。

そして、残すなんてもったいないとか、

余った部分は有効に使わなきゃいけない、埋めなきゃいけない。

というような思考が自分の中で繰り広げられ、

残ったり、余ったりすると、不安や焦燥感を抱くこともありました。

 

そうなるのはどうしてか?というと、

その答えも本に書いてありました。

(『』内 山崎晴太郎著 日経BP発行 余白思考より抜粋)

『人は本能的に、空いているスペースがあると埋めようとします。

意味のある余白にするよりも、空虚が怖くて、どうにかして埋めたがる。

余白の在り方に思いをはせる前に、とにかく詰め込んで満足してしまう。』

とのことです。

 

とにかく詰め込んで満足することも問題視した方がよいですが、

私の場合、空虚が怖くて、埋めよう!としたとき、

埋めよう!としたのに、自分の思い通りに埋められなかったりすると、

満足するどころか、

うまく埋められなかったことに対して、

さらに負の感情が沸き上がるという、

ネガティブ感情のループにはまることも多々ありました。

 

しかし、余白の余は余裕を意味すると捉え、

「本当に大事なものを守るために、あえて余らせている時間や力」

と考えると、余白をつくることに視点が移ります。

さらに、その余白の質を高めることで、

引き立たせたいもの、大事にしたいものを、

より尊重できるのでは?ということが推測できます。

実際に著書の中でも、

『いいアーティスト、デザイナー、経営者は、基本的に、余白のつくり方がうまく、

余白のつくり方が上手い人は、人生を楽しむのもうまい。』

と書かれていました。

 

ふと、マイメンターのことが思い浮びました。

メンターは、経営者であり、お仕事がお忙しくても、

その間に、

■観光に行かれたり

■菜園をやられたり、

■お料理教室に行かれたり

■散歩に行かれたり、

など、していらっしゃいます。

(上記■はメンターのSNSに投稿されていた内容です)

著者山崎氏は『余白は意図せずにできるものではありません。』とその著書に書かれていますが、

マイメンターはまさに、

意図的に余白をつくられていたこと、

そしてその余白のつくり方を、

SNS視聴者に見せてくれていたんだな~

ということに改めて気付かされました。

ご自分も相手も大事にするスタンスであるから、

メンターはうまくいっているのだな~と改めてリスペクトするのでありました。

 

どうしたら質の高い余白がつくれるのか?

 

以前メンターからアドバイスいただいたことや、

(余白という言葉ではありませんが、緩急の付け方や、
自分で自分を満たす方法という観点からいただいているアドバイスのこと)

上記の本をもう少し読みこんで、改めて考えてみたいと想います。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

コスパ・タイパ時代に必要なこと

失敗は、学びに変えられますし、

その痛みが大きければ大きいほど、

学びも大きいですし、

共感力がアップするなどのメリットもあるので、

失敗を恐れることはないということが、

様々な失敗を繰り返したからこそ、心底想うのであります。

基本的に、失敗に良い悪いは無いというのが、

私の考えです。

(但し、取り返しがつかない失敗は除く。)

 

ですが、今は時代が違います。

テクノロジーの進歩により、

「加速の時代」とも言われている現代において、

失敗してつまづいたり、止まったりしている間に、

時代の方がどんどんどんどん進んでしまうのです。

それはそれで、経験だからいいとも想います。

でも、失敗しなくて済むことは失敗せず、

その分のエネルギーを、

自分のパフォーマンス向上に繋げていくことの方が、

コスパ、タイパが良いと想いませんか?

 

そこで、活用するのが賢明だと想うのが先人たちのお智恵です。

せっかく先人たちが、

こんな失敗をしないためにこういうところに気を付けてね!とか

こういう理由がこんな失敗を招くんだよ!とか、

反対に、

うまく行っている人はこういう考え方をしているよ!

人望が厚い人はこういう在り方だよ!

という情報を発信してくださっているのに、

それを活用しないのはもったいない!

 

私は、どちらかというと、実際に経験して、やっと気づくタイプです。

でも、昔と違うのは、そのベースにメンターや書籍などから得た学びがあるため、

メンターがおっしゃっていたこと、書籍に書かれていたことは

こういうことだったのか!と

経験が早く腑に落ちるようになり、

失敗が学びに変わるのに時間がかからなくなりました。

 

いずれにしても、先人の智恵を学ぶこと、学びにする習慣は、

コスパ・タイパ時代を、

コスパ・タイパ重視で生きたい人に必要な要素だと考えます。

遠回りのように感じるかもしれませんが、

ここ9年学び続けて来て、実感することでもあります。

 

最近は、体系化され読みやすい、

自己啓発本、ビジネス書、専門書などが

とっても増えていますし、

書籍以外から得られる情報も沢山あります。
(情報が溢れすぎていて取捨選択することも必要ですが・・・)

一日15分でもその積み重ねは大きいという実感も持てています。

 

私は、学校を卒業したら、勉強から解放される!と想って、

プライベートでは遊んでばかりいましたが、

むしろ、学校を卒業した後も、

学校では教えてくれなかったことを学ぶことが、

大切だったんだな~と気が付いたのが数年前です。

20代の時、せめて、30代の時に気付いていたかったな~。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

 

 

甘え方上手も自律の要素

今、負傷した足の治療中なのですが、

おかげさまで、ギブスが取れ、

物理的にも精神的にも、開放感に満たされております。

 

ただ、そうは言っても、

すぐに元通りに歩けるというものではありません。

外出するには、まだまだ松葉杖が必要で、

ちょっとそこまで外出するだけでも、

想像以上に、体力を消耗します。

従って、エネルギーが枯渇気味で、

元気な時は対応できていたことが、

対応できないことが今は多い状態です。

 

これまでの私であれば(卒婚してからは特に)

「一人でなんでもしなきゃいけない。できなきゃいけない。」

と想う傾向が強く、

一人でできることは、一人で完結するようにしていました。

例えば、本当は、スーパーに買い物に行くにも、

誰かに付き添ってもらって行きたかったです。

でも、私は「一人なんだから!頼る人がいないんだから!」

と自分に言い聞かせ、勇気を振り絞って一人で買い物に行き、

見ず知らずの方に声をかけて、

車いすに乗るのを手伝ってもらったり、

手の届かない商品をかごに入れてもらったりしながら、

足が不自由な生活を送っていました。

それはそれで、

見ず知らずの方に頼るということもこれまで以上に出来るようになりましたし、

その方たちのやさしさ温かさに触れるという貴重な体験ができ、

嬉しさと感謝の気持ちを味合わせて頂きました。

私も、元気になり、反対の立場に遭遇したら、

手助けしたいという意識が芽生えたこともよかったです。

 

しかし、「頼れる人がいない。」というのは、私の思い込みで、

「頼ってくれればいいのに」と想ってくれていた人がいらっしゃったり、

「疲れが酷いから、送迎してほしい。」と頼んだら、

快く引き受けて下さる方がいらっしゃるという経験もさせていただきました。

私は、自分の強がりのために、

「頼れる人がいない。」と思い込もうとしていたのかもしれません。

その方たちにも、その方たちの生活があるので、

それを侵害するほど頼りたくないという気持ちもありますが、

よくよく考えてみると、

私に何かを依頼されて、それを引き受けるキャパが有るか無いかは、

相手の方が判断することであります。

要するに私は、

「断られたらどうしよう。」

「断られないにしても、相手に迷惑なやつだと想われたらどうしよう。」

という、気持ちもあったのだなということに、

この文章を書きながら気付きました(^_^;)

 

断る、断らないは、相手の問題ですね!

 

自分で出来ることを無理に頼る必要はありませんが、

しんどい時は、しんどいと、SOSを出せる人(医師や公共機関も含まれる)を、

何人か持っておくのも、生きていくには必要で(特に一人暮らしの人)、

それも自律ということの1つの要素なのではないのかなと

感じたのでありました。

 

頼んだことを必ずやって!と強要したり、

自分は頼むのに、相手の頼みは聞かない!は、

無しというのがもちろん前提です。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

「嫌い」を受け入れることのすっきり感

「いい人」星人だった私は、

(今も「いい人」星人の要素はありますが、
「いい人」を脱ぎ捨てた提にしたいので、
敢えて、過去形にしています。)

人を嫌いになっちゃいけない、

という言う思い込みが強く、

心のどこかで、不信感、不快感を感じる相手でも、

無理矢理好きになろうという傾向がありました。

最近は、だいぶ、その思い込みが弱まったので、

「この人あんま好きじゃない」「この人嫌い」

というのを、敢えて表現しないまでも、
(家族や信頼できる人には言うこともありますが・・・)

自分の中では受容できるようになっていました。

 

しかし、今、新たに、自分でも意外な人物のことが、

「嫌い!!!」というのを、自覚し、
(実はうすうす感づいていたのを気付かないふりをしていた気もします。)

「私、〇〇のこと嫌いだったんだ~」という気持ちを認め、

「よく、認められたね、偉かったね。」という気持ちにもなり、

とっても心がほっとしているというか、すっきりしているというか、

穏やかな気持ちになっているのです。

 

大好きでいたい人のことを、

実は嫌いだった(いつの間にか嫌いになっていた)と認めることは、

私にとってすごく勇気がいりましたが、

すっきり!という感情が、全てを物語っていると想います。

 

そこには、憎しみという感情はなく、

嫌い!を嫌いなまま受け入れたからこその、

「嫌いを含めて好き」みたいな不思議な感覚すらあります。

 

この経験が誰かの何らかのヒントになりますように・・・

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

背徳感が爽快感?

皆さんは、健康にあまりよくないからと、

気を付けていることってありますか?

 

改めて、自分自身にこの問いを投げかけてみると、

甘いもの食べすぎちゃいけな~い。とか、

夜遅くにこってりしたものを食べちゃいけな~い。とか、

2~3階くらいなら、エスカレータなどを使わず歩こう。とか、

寝不足にならないようにしよう。とか、

ストレスに注意しよう!とか、

意識的にも、無意識的にも、案外、

自分自身に気を使っていること、

制約をかけていることってあるもんだな~と気付きます。

 

今日は、長男を支援する目的で山梨を訪れておりました。

予想以上に時間がかかってしまい、夕飯を食べよう!ということになったのがPM9時。

おなかがペコペコで、「どこで食べる?」と考える余裕もなく、

たまたま、その時近くにあって、

まだ開店していて(ラストオーダー9時半でぎりぎりセーフ)

良さげな雰囲気のカツ料理屋さんに入りました。

 

写真付きメニューをめくっていくと、目に留まったのが、

赤味噌の味噌煮込みかつ。

名古屋在住の友人に、名古屋飯を食べに連れて行ってもらったことがきっかけで、

赤味噌料理が自分の好みであることに気付いた私。
(私山本と同じニックネームの某居酒屋さんのどて煮に惚れました(^_^))

もうこれは食べるしかないでしょ!と即決。

普段の私であれば、夜遅くにこってりしたものを食べることはまずしませんし、

あったとしても、量を少なめに食べるなど制限をかけます。

でも、今回は、めったに訪れる地域でないし、おなかもペコペコだったため、

自分を解放し思いっきり食べ、完食!!!

普段、やっちゃいけない!と自分に抑圧をかけていることを、

「思いっきり破ってやったぞ!!!」という背徳感が、

なぜか気持ち良くも感じられるという、

普段の私にはあまりない不思議な感覚になりました。

 

もちろん、法律を犯したり、ルールを破って人に危害を与えてはなりません。

マイルールであっても、それを何度も破ることによって起こる弊害はさける必要も、

あると想います。

でも、たまには、「マイルール」を思いっきり破って、

爽快感を得るという方法で自分をご機嫌にすることもありなのかな!

という気付きを得ました。

 

あなたは、たまには思いっきり破ってみたいマイルールはありますか?

あるとしたら、それは何ですか?

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

期待と現実とのギャップにより受けたショックから立ち直る方法

今、けがをした足の治療中なのですが、

経過が順調かつ、別の事情もあり、

当初の予定より、

かなり早くギブスが取れることになりました。

今日はその、待ちに待ったギブスが外れる日でした。

 

10年ほど前、足を骨折し、

ギブスを1か月ほど装着していた経験があるので、

ギブスを外したからと言って、すぐに、自由に、

歩くことができないということは知っていました。

そうは言っても、ギブスが外れることの、

気持ち面、物理面、両方ともに感じるであろう、

開放感、安心感には、かなり期待を持っていました。

 

しかし、以前のそれでは、経験しなかった予期せぬ事態が起こり、

開放感をはるかに上回る不安感、

ガッカリ感に苛まれたのでありました。

 

その原因は、「痛み」です。

 

10年前ギブスを外した後、強い痛みを感じることはありませんでした。

別の危惧を装着することもありませんでした。

でも、今回は、同じ足でも、骨折した部分が違います。

治療法も違います。年齢も違います。

ギブスを外して、5~6時間経ってから、徐々に徐々に幹部の痛みが強まり、

我慢するのが辛くなってきました。

この強い痛みは何なのか?

その原因が不明なため、不安感も増大し、

同じ日に、2度受診するという事態となりました。

 

「痛み」は心身を弱めますね( ;∀;)

 

「痛み」の原因は骨折が悪化した等の問題のある痛みではないと、

CT検査の結果から担当医の先生が診断して下さり、

ほっと一安心しました。とは言え、強い痛みは怖いです。

 

新しい危惧の装着に徐々に慣れること、

足のむくみを取ったり、

そもそも足がむくまないようにすること、

これからも、しばらくは強い痛みが起きる可能性もあるので、

そういう時は、保冷剤で冷やすことなど、

医師からご指導いただき、帰宅しました。

 

不自由な体での外出は、ただでさえ、普段の10倍位疲れる感覚なのですが、

今日は、医療機関を2往復し、その間に、

どうしてもしなければいけない公共の手続きもあったため、

心も体も疲労困憊。

疲れた心身には、期待と現実とのギャップがかなり応えたらしく、

しばらくの間1人泣いておりました( ;∀;)

敢えて、自分を、泣きたいだけ泣かせ、ふて寝もしました。

しかし、本日中にどうしても返信したいメールがあったことを想い出し、

気を取り直さなければ!と想ったタイミングがありました。

まだまだ気分は沈んでいたのですが、

そこは、踏ん張って、意図的に意識を変えるよう心掛けました。

 

そして、そんなすさんだ心を復活させてくれたのが

感謝です。

 

タイミングよく、Lineくださったメンターの在り方の高さに触れたことや、

時間外なのに対応してくださった、担当医、看護師、病院の方々へ、

ありがとう!を連発していたら、

深い気分の沈みから、抜けることができました(^_^)

セルフマネジメントを学び活用できた実感が持てた瞬間でした。

 

そうそう、感謝は自分にもしましたよ。

自分のために、よく、2回も受診に行ってくれたね。

大切な、用事も済ませてくれてえらかったね。

ありがとう。と・・・

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

 

  • Category:感情
  • Author:mind-labo

自分がしてもらって嬉しかったことも1つの指標

皆さんは、相手が喜ぶことをしてあげたいな。

と想ったとき、どうされていますか?

 

自己肯定感が低く、

自分を卑下したり、

自分のことをぞんざいに扱っていた頃の自分は、

相手のために!と想ってとっていた言動が、

実は自分の保身のため、

自分が良い人に思われたいがための行為が多かったと、

今振り返るとわかります。

それはそうです。

自己否定、自己卑下の状態は、自分に余裕を無くし、

自分に余裕がないと、

例え相手に喜びを与えたいと想っていたとしても、

その余力が残っていないということも多々ありますから・・・。

 

しかし、10年近く、自己肯定感を整えたり、

セルフマネジメントを学んできた現在は違います。

「相手が喜ぶことは何だろう?」という視点が、

ちょっとずつですが、持てるようになってきたのです。

視点を持つだけではなく、

実際に、行動にも起こせるようになってきました。

 

なぜ、行動に起こせるようになってきたか?

「最初は、相手に喜ばれることをしたい!

でも、わからない。」

という感覚が強かったと想います。

そんな中、とりあえず、

「自分がやってもらって嬉しかったことは他の人にもしよう。」

という意識を持つところから始めました。

自分がしてもらって嬉しかったことは行動にも移しやすかったこともあり、

徐々に行動の幅が広がっていったように想います。

 

もちろん、私がしてもらって嬉しかったことが、

ほかの人が全て嬉しい!と感じるとは限りません。

自分は嬉しいけど、相手にそれをやったら

「いまいち」だった、

といったことも時にはありました。

でも、その行動を起こしたことで、

相手の好みや特性がわかるので、

以降、その方とコミュニケーションを取る時に役立つというメリットもあります。

 

あなたが、両親、パートナー、友人、同僚、上司、先生、メンターなど、

周囲からしてもらって嬉しかったことは何ですか?

誰に、喜びを与えたいですか?

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

 

 

親ばか&負けず嫌い

東京に住む次男が、

短期帰省で長野に帰ってまいりました。

前回、次男に会いに東京へ行ったときは、

限られた時間の中で、用件だけ済ませて帰って来ましたが、

今回はお互いに時間に余裕があったため、

ゆっくりいろんなことを話すことができました。

 

次男の東京生活もこの春で4年目に入りました。

上京の目的は、バンド活動です。

これまで、いろんなことがあって、

周囲から、何度、

「もう、長野に帰ってきなさい!!!」

と言われたかわかりません。

私も、言ったことがあります。

でも、次男は、ずっと、

東京で、東京に居るバンドメンバーと、

音楽活動をしたい!そこだけは譲れないと、

頑張り続けてきました。

昨年の12月に渋谷の小さなライブハウスで、

彼らの演奏を直接観させてもらったことも大きかったのですが、

今ではその熱意に、

「長野へ帰ってこい!」なんて言えないどころか、

「東京でとことん頑張ってほしい!」という気持ちになっています。

 

そんな、次男が、「バンド活動はどう?」という私の質問に、

5月は東京で4つ、神奈川で1つ、

ライブ出演が決まっていると話してくれました。

地道に頑張って、活動の幅を広げている息子の勇士を、

また観に行きたい、応援したいと想うのと同時に、

私も、負けていられない!!!

MindLaboの事業拡大を少しずつでも進めて行きたい!!!

と想うのでありました。

 

人が純粋に頑張っている姿には心打たれますね(^_-)-☆

ましてやそれが息子なのですから、なおさらです。

 

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jackmay_1188

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

自分がやられて嫌なこと

「自分がやられて嫌なことをほかの人にやってはいけない」

子供のころから、周囲の大人たちに言われてきた言葉ですし、

自分自身も、子供たちに伝えたことがある言葉です。

人として、これは守るべきことだと想います。

 

ただ、この言葉を頻繁に使うのには注意が必要なのでは?!

という気付きを、あることをきっかけに得ました。

それは、極端なことを言えば、

「自分が嫌だと想わなければ、相手にはどんなことをしてもいい。」

という考え方もできるということです。

実際にそういう言動をしている若者を目の当たりにしたのです。

 

自分がやられて嫌なことと、相手がやられて嫌なことは、

必ずしもイコールではありません。

また、自分が経験したことがない事柄であれば、

それをやられて嫌か、嫌じゃないかわかりません。

従って、「相手」を主語にして、

相手は嫌かもしれない、

という視点と、想像が必要なのではないかと想うのです。

 

「自分がやられて嫌なことをほかの人にやってはいけない」

プラスして

「相手が嫌そうなことも想像(思考)する」

幼少期には難しいことかもしれませんが、

頭脳が発達していけば想像するということも出来ると想いますし、

想像する力を養っていくことの方が、

社会生活を皆がより円滑に送ることに役立つのではないかと想います。

 

そういう私も、相手の立場にたってものを考えるということは、

まだまだ、道半ばです。

わかるとできるは違いますね(^_^;)

鍛錬、鍛錬。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子