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自己肯定感ブログ

断るという行為

以前よりは、できるようにはなりましたが、

私は「断る」という行為が苦手です。

なぜ、苦手なのか?

その理由は、

断ったら、

◆相手が自分のことをどう想うかが気になる。

◆自分が相手に対して罪悪感を感じるのが嫌。

大きくこの2つです。

 

例えば、職場で仕事の依頼を断る時、

無能な奴、役に立たない奴と想われるんじゃないか?

力になってあげられなくて申し訳ないな。

例えば、食事の誘いを断る時、

嫌われるんじゃないか?

せっかく誘ってもらったのに申し訳ないな。

こんな具合です。

 

ですので、コーチングを学ぶ前までの私は、

自分がきつい状態でも無理をして引き受けたり、

気乗りがしないことでも「せっかく誘ってくれたんだから」、

と想って、

「断らない」という選択の方を格段に多く選んでいたように想います。

しかし、時と場合によって「断る」ということは、

自分を守ったり、自己を尊重する行為であるということを学び、

少しづつですができるようになってはきています。

 

しかし、まだまだ、苦手だな~と感じているのは事実ですし、

実際に、意識していないと、ついつい、

断るべきことを引き受けてしまったりしている自分がいます。

先日も、メンターから、

「それはきっぱりと断ることだ」と指摘された事柄があり、

勇気をもって断ったため、それ以上の不利益を回避することができました。

そのことがあってから、

ここ数週間、「断る」「断らない」を意識するようになっていました。

そこで、気付いたことがあります。

自分なりに「断る」「断らない」の判断基準を明確にしておくことが大事だな~と。

そのための質問を考えてみました。

・相手は誰か?(自分が最も大切とする人か?良い感情を抱いている人か?利害関係がない相手か?)

・自分の感情はどうか?(気乗りするかしないか?その理由は?)

・それをする目的は何か?

・そもそも予定が空いているか?無理してでも予定を開けたほうがいいことか?

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

父親を好きになった要因③

20代前半のリケジョ時代、父親のことが大嫌いだった私でしたが、

今では父親を敬愛しております。

昨日までの投稿で、その要因の2つを記載いたしましたが、

今日は3つ目を投稿しようと想います。

父親を好きになった要因としてやはり大きいのが、

自己肯定感の土台である自己受容を整えたことだと捉えております。

自己受容を整えると以下のような効果があると考えるからです。

▢自分に対しても他者に対しても許容範囲が広くなる。

▢自分への理解が深まると相手への理解も深まる。例え理解できなかったとしても「こういうことかな?」と想像力が働く。

▢ポジティブな所ばかりを観て好きになるのではなく、ネガティブな面もひっくるめて自分のことも相手のことも好きになれる。

 (もちろん、好きになれない人はいます。人間ですから。)

 

上記3つががっちり当てはまったのだと想います。

そして、今では以下のような考え方です。

「父親はそういう人だよね~。(許容)

私もその時代の社会常識みたいなものに影響を受けて育ったように、

父親もその時代の社会常識の影響を受けて育ったんだよね~。

昭和前半なんて女性が家事をすることなんて当たり前だったでしょうし、

実際に、祖母(父の母)はとても働き者だったらしいから、

(農業と家事を両立し、夜は内職のようなこともしていたそうです。)

そんな背中を見て育ったら、父親にとって女性がよく働くことはふつうのことなんだよな~。

母親がそれに対して耐えられないと言っているわけではないし(ときどき不満を口にはするが)

身体を壊すほどの過酷さを与えているわけでもないもんな~。(そうだったら大問題)

そうは言っても、正直、男尊女卑的な言動は好きではないけど、(父親に限らず)

それもひっくるめて、それが父親だからな~。」と・・・。

 

父親の名誉のために言っておきますが、

朝のお茶入れだけはなぜか父親担当です。

これは私が子供の時からです。

最近は、食卓に食器を並べたり、

食べたものを下げたりだけはするようになったそうです。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

 

父親を好きになった要因②

20代前半、父親のことが超絶嫌いだった私。

その理由は、母親に対する男尊女卑的な態度からくるものでした。

父親は現在も、家事のほとんどを母に任せ、

上げ膳据え膳、毎日洗濯された衣類や寝具が用意され、

定刻に食事が出てきて、何と幸せな生活をしているのだろうと、

はたから見て想うのですが、

今はそういった光景を観てもイライラするどころか、

微笑ましいとすら思えるのであります。

こういったことからもわかるように、

父親は今も昔もあまり変わっていません。

では、なぜ大嫌いな父親のことが好きになったのでしょうか?

私が変わったからです。

昨日の投稿にも記載しましたが、

私の父親や男性への見方、考え方が変わったのです。

今日は3つあるその要因の、2番目について記載したいと想います。

 

②ライフイベント(結婚・出産・家を建てる・離婚)

・結婚式の時、生まれて初めて父親が泣く姿を観たのは大きかったです。

 しかも、号泣でした。

 私は、ここまで愛されていたのかということを、実感した瞬間でもありました。

・妊娠、出産を経験したことも大きかったです。

 妊娠8か月を過ぎたころから、お腹の赤ちゃんの動きが激しくなり、

 赤ちゃんと一心同体というか、繋がっているというか、

 いつも一緒にいられるなんとも言えない、幸福感を味わうことができました。

 あと、おっぱいをあげているときの幸福感。

 これも何とも言いようがないくらい幸せでした。

 これは、女性だけに与えられた特権で、男性はこの幸福感を経験することはできません。

 この時でした、男性、女性、勝ち負けという次元じゃないなと想ったのは。

 女性はそもそもこんなに素晴らしい特権を与えられてるわけだし、

 男性も男性で女性にはない特性というものを持っていて、それに優劣も勝ち負けもないな~と。

 今まで男性に対して、張り合ったり、負けん気が強かった自分の言動が、ばっかみたい(笑)と笑えるようになりました。

・マイホームを建てるとき、父はとても労力を使ってくれました。というのも父は大工で、

 父が勤める工務店に建設をお願いしたのですが。父は、クビになってしまうのではないかと想うくらい、

 社長さんに値段交渉してくれ、とっても安く建設してもらうことができました。

 その代わり父は、休日や時間外もプライベートということで建設を進め、(要するに無料)

 人件費をかけないように配慮していました。

 娘や孫のためとはいえ、朝早くから日が暮れるまで、時には休日返上で本当によくやってくれました。

・そんなに苦労して建ててくれた家でしたが、私が離婚することになりそこを離れることとなりました。

 私は父に「あんなに一生懸命立ててくれた家、出ていくことになってごめんね」と言ったら、

 「お父さんはそんなことは全然気にしていないよ」と明るく答えてくれました。

 それどころか、私が離婚後住むための、土地や家(正確にはトレーラーハウス)のことにも、

 親身になって考えてくれ、土地の整備や、家の家具や内装を整えるのに労力も使ってくれました。

 こんなに愛情が深い父を嫌うなんてとんでもない、むしろ敬愛するようになっていったのです。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

父親を好きになった要因①

私は、20代前半、猛烈に父親のことが嫌いな時期がありました。

それは、リケジョをやっていた時期と重なります。

男性社会の中で「女だってやれるんだ!」というところを見せようと、

必死に頑張っていた時期、意地になっていた時期とも言えます。

そんな時に、父の男尊女卑的な言動を観ると、イライラしてしまい、

もう本当に家に帰りたくないくらい、父のことが嫌でした。

 

そんな私は今では父のことが大好きです。

なぜ、好きになったか?

その要因をまとめてみたいと想います。

 

一番大きいのは、父や男性に対する、私の考え方・見方が変わったことです。

何故変わったか?

①父親との2人旅

②ライフイベント(結婚・出産・家を建てる・離婚)

③自己受容

その要因は大きくこの3つと考えます。

 

①父親との2人旅

これは私にとっては、荒療治でした。

リケジョを始めて2~3年ほどたった頃だったと想います。

父親嫌いがピークだった頃です。

私は、そのころ、胃の調子が悪い、眠れないとという症状が出ていました。

きっとストレスだなと自覚があったので、

会社の福利厚生を活用させてもらい、定期的にカウンセリングを受けていました。

外部のカウンセラーを会社が招いて、

就業時間内に予約制で1時間お話しを聴いてもらえるというものでした。

(本当にありがたい制度で、会社には今でも大変感謝しております。)

カウンセラーの先生に、「父親のことが嫌い過ぎて悩んでいる」と相談したところ、

父との2人旅行を勧められました。

「次回のカウンセリングの時に行って来た感想を聴かせてくださいね。」と先生。

ほぼ強制(笑)

父親に話を持ち掛けてみたところ、意外にもうれしそうな反応。

温泉に1泊旅行に行くこととなりました。

ちょっと照れ臭い気持ちもありましたが、

別に親子なので、

車の中で会話が途絶えても、

助手席で思いっきり眠ろうとも、

全く気を使うことがないですし、

普通に、美味しいお料理食べて、お酒飲んで、

ちょっとだけ観光してという感じでしたが、

案外、楽しかったのです。

 

もちろん旅行に行ったからと言って、

母親への男尊女卑的な言動が許せたわけではないですし、

イライラも相変わらずしましたが、

父親との距離が近くなったことで、

父親の好きな所にも触れることが出来、

嫌い!に大幅に偏っていた気持ちが、

好き!の方に引っ張られ、均衡が保たれたのかもしれません。

 

②ライフイベントと③自己受容については追って投稿いたします。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

 

「女だから」の言葉に過剰反応していた私

リケジョをやっていた20代前半、

父親のことが大嫌いでした。

「父親のことが」というより、

父親の「男尊女卑的言動が」嫌いだったのですが、

当時の私は、

自分の感情だったり、捉え方、考え方が整理できておらず、

全部ひっくるめて、「父親のことが嫌い!」となっていたと想います。

 

最初にお伝えしておきますが、

今は父親のことが大好きで仕方ありません。

父親や男性に対する、見方、考え方が変わったからです。

 

現代は、

「女に学歴はあまり必要ない」とか、

「女は結婚したら家庭を守るのが仕事」とか、

いう声を耳にすることはなくなりましたが、

30年前は、男女雇用機会均等法が施行され、

時代も男女平等が叫ばれているにも関わらず、

まだまだ、

そういうことを言う人、

言わないまでも、

そういう雰囲気を出している人がいました。

父もその一人で、私には男尊女卑的なことは言動はとりませんでしたが、

母親にはそういう態度をとっていました。

 

父も母も正社員で、両親共働き家庭だったのですが、

「俺の給料で家族全員養えるはず」という自論が根本にあるせいか、

(実際に養ってもらっていたので)

父は家事(洗濯・食事の準備片付け・そうじなど)を一切しませんでした。

100歩譲って家事をしなかったとしても、

せめて母に合わせたっていいのに、

母が残業で遅くなっても、一緒に待って夕飯を食べるということがありません。

お酒だけ先に飲み始め、つまみが出てくるのを待っています。

母は休む間もなく、

スーパーで買ってきたお惣菜をとりあえず皿に盛って先に出し、

父がそれをつまみに飲んでいる間に、

夕飯のおかずを作り、できたものから、食卓に並べるのです。

私は、自分が働くようになってからは特に、

フルタイムで働いてきてそれがどれだけ大変なことか理解できるようになったこともあり、

同じ時間働いてきているのに、家事の負担が半分半分でないなんて、不公平だ!!

女が家事を全部やらなきゃいけないなんて、おかしい。

せめて、食事を作るのを待ってるくらいのことが何故できない!!

という想いが日に日に強くなっていきました。

その光景をみるのがイライラするので、

家に帰りたくないと想っていた時期もありました。

 

その影響もあったのでしょうか?

私は、「女だから」とか、「女のくせに」とか、

男尊女卑的な言動を聴いたり見たりすると、

過剰に反応していたように想います。

自分の中でも、意地になっていた部分もありました。

女だって、技術職ができるってところを見せてやる!

キャリアウーマンになって見返してやる!!

女の地位を上げてやる!!

男になんて負けたくない!と・・・。

 

この意地が、

自分の心身に負担をかける要因の1つになっていたことに、

当時の私は気が付いておりませんでした。

もちろん今も、

「女だから」とか、「女のくせに」という言動や

考え方は好きではありません。

でも、男女の間に、勝ち負けは無いな。勝ち負けという問題ではないな。

という考え方になってからは、

意固地になって張り合うというスタンスからは解放され、楽になっております。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

 

 

 

仕事のことで頭がいっぱいな時

今日は、長野の実家に帰省しております。
昨日は、大雨の影響でかなり交通機関に乱れが生じていたようでしたが、午前中に雨も上がり、通常通り帰路に着くことができました。昨日までの雨がうそのように青空が広がり、車窓からの景色を観たり、読書をしたり、友人・知人のSNSを拝見したりしながら、約3時間のバスの旅を楽しんでおりました。

最近、リケジョだった頃の30年前の記憶を呼び起こしております。その頃の経験や、失敗談、こうすれば良かったのにと思うことを発信することで、世の中のリケジョやそうでない方にも、なにかお役に立てることがあるかもしれないという目的があるからです。
リケジョだった頃は、実家から通勤しておりましたので、当時の記憶を蘇らせるには、いい環境かもしれません。現にこんなことを思い出しました。
ある星空が綺麗な夜のことです。当時、ケータイ電話も持っていない時代です。家の固定電話が鳴りました。同僚Cさんからの電話でした。「今日は星空が綺麗だよ。」と。
彼女も私と仕事の内容は違いましたが、隣のグループで設計の仕事をしておりました。リケジョ仲間です。仕事の内容も、グループも違うので、細かい仕事の話はしませんでしたが、唯一弱音を吐いた同僚かつ先輩でした。
すごく優しい人だったので、仕事のことで頭がいっぱいになっている私に、星空を観るゆとりが必要であろうと、わざわざ電話をくれたのです。
そんな彼女の気持ちが嬉しくて涙が出そうになったことを覚えております。確かに星空は綺麗でした。しかし、私にはそれに自ら気付き、綺麗だと感じる余裕がまるでなかったのです。Cさんは私にとても大事なことを伝えてくれていたんだな~と今になって想います。
しかし当時の私は、その真のメッセージを汲み取れず、ただその日だけのことで終わってしまいました。自分でも、日常の中にたくさん在る、美しいもの、自分が心地良いと感じるものを見つけること、意識を向けることを取り入れていくよう習慣化するきっかけになっていれば良かったと思うのです。そうすることで、心身の辛さが少しは解消されていたのではないか、負担が軽減出来ていたのではないかと思うのです。

まさにタレればですが...。


今日も最後までお読み頂いてありがとうございます。

MindLabo 代表山本智香子

花のある生活で心にゆとり

メンターのアドバイスで、

今、部屋に花を飾るようにしています。

花には邪気や悪い気を吸ってくれる効果があるのだそうです。

長野に住んでいる時は、自然環境に恵まれていたため、

そこまで気にすることはなかったのですが、

都会に暮らすようになって、

良くも悪くも色々な影響を受けている私を心配してのアドバイスでした。

 

前回はバラ。

枯れて、花瓶から取り出す時、

「悪い気を吸ってくれたんだね~、ありがとう。」

という気持ちが自然と湧き上がってきました。

今は、シャクヤク。

たった2輪ですが、

帰宅して花が目に入ると、

仕事モードが一気にクールダウンする感覚になり、

癒しと、穏やかさを頂いております。

無職の今は、

「就活頑張れ~」とパワーを頂いている、そんな感覚です。

どちらにしても、花は私にとってメリットばかりです。

 

経済的に余裕がないな、と感じられる時、

最初に切り詰めるのが、

食べることや寝ることに直接関係しないものとなるのは、

私だけではないのではないでしょうか?

花もその1つですが、

そこをあまりにも節約しすぎるのも、

心にゆとりがなくなって、人生つまんなくなるな~と想うのでした。

何ごともバランスですね。

 

長野より、格段に花の値段が高い東京であっても、

良心的な価格でお花を買えるお店も探せばあります。

その一つが、新宿のユニクロさんです。

ユニクロにお花?

最初に観た時は意外でしたが、

けっこう買っていらっしゃる方がいます。

大抵、花だけを買ってらっしゃるように見受けられます。

私の主観ですが・・・

ユニクロさんありがとう!

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

楽観性資質を発揮

晴れて無職になりました。

2ヶ月ごとの契約更新ではあるものの、「長期」の予定で派遣されていた会社。5月で契約の延長はしないと通告を受けました。自分の名誉のために言っておきますが、契約を打ち切られたのは私だけではなく、ベテランも新入りも、正規雇用ではない人が対象です。ですので仕事が出来ないなど自分に落ち度があっての契約解除とは違い、自己肯定感が下がるということはなく、その点では気が楽です。

通告を受けてから約1ヶ月就職活動をしてみたものの上手く成立せず、晴れて無職となりました。5月31日、最後の仕事を終え、いつものように新宿まで1駅分を30分かけて歩いておりますと、なんだか急に笑いがこみあげてきて、東京に来て3ヶ月で無職という状況がおかしくておかしくて仕方がないのです。すごく不思議な感覚です。無理に笑おうとして笑ってるのではなく、ほんとうに自然に笑いが湧き上がってくるような感覚なのです。

この感覚は実はスイス一人旅の時にも味わったことがあります。

電車が何かの都合で止まり、乗客全員が電車から降ろされた時です。言葉が分からないので詳しい状況が理解できないし、一体ここはなんという駅で、次の目的地に行くには他に交通手段があるのか?など全くわからない状況で、いつもの私なら焦ってパニックになる所なのでしょうが、この時もなぜか、笑いがこみあげてきて、このどうしようもない状況がおかしくておかしくて仕方がないのです。

以前、メンターから私は「楽天的だ」とフィードバックを受けたことがあります。しかし、自身の人生を振り返ってみても、「悲観的に生きてきたことの方が圧倒的に多かったので、いまいちピンと来ない、あまりその実感がない。特に自己否定が強かった時は...」と伝えたところ、「先天的に楽天家資質を持っていたけど、それがこれまでの人生で発揮できていなかっただけだ」だとのことでした。

もしかしたら、大ピンチの時に笑いがこみあげてくるという不思議な感覚の時は、メンターが仰る先天的な楽天家の資質が表出しているときなのかもしれません。なぜならその不思議な感覚が心地いいからです。

 

いづれにしても、自己否定をしている時は楽観的になることはかなり困難です。これまでの人生大半を自己否定のおかげで、自身の特性を発揮できなくて勿体なかったなーと想います。

リスクヘッジという観点から言えば楽天的なことがデメリットになることもあるのでどちらがいい悪いではないですが、挑戦する、前進する、こういった時には楽観性も重要となってくるので、今の自身の状況は、大いに先天的な楽観性資質を発揮するチャンスと捉えております。

 

今日も最後までお読み頂いてありがとうございます。

 

MindLabo代表山本智香子

そりゃ苦しいよね

20代前半に某電機メーカーで試験機の設計業務をしていた頃を、

今でこそ、冷静に振り返ることができる自分となっておりますが、

しばらくの間は、当時のことを想い出すことも辛い時期がありました。

とにかく当時は苦しかったです。

何が苦しかったか?

仕事へのプレッシャーがエンドレスだったことです。

当時の仕事の流れはこうでした。

 

上司から「〇〇試験機」の設計依頼が来る。

依頼もとの部署や品質管理部の担当者、責任者を招集し、

具体的にどんな試験機が欲しいのか?

品質管理的にこの試験方法で問題はないか?など詰め、

仕様書を作成。

仕様書に基づいて設計。

必要な部品、材料などを洗い出し、発注。

制作部署、又は社外の業者へ制作依頼

制作してもらった設備の試運転

正常動作するまで調整

取扱説明書作成

運送手配

現場に搬入

(30年前の記憶ですのでおおよその流れで

且つ正確でない所もあるかもしれません)

これを全部一人で行っていました。

もちろん、技術的なこと、設計や進め方についてわからないことなどは、

先輩方が丁寧に教えてくださいました。

しかし、基本は1人で全部やって、納期までに納品する。

これが私の仕事でした。

文字にするとたったこれだけのことなのですが、

何もない所から、1つのものを創り出すエネルギーというのは、

半端なものではありませんでした。

 

1つ納品すれば、また次の設計。また次の設計。(当たり前ですが)

新しい製品はどんどん開発されていくし、

技術を習得しても習得しても追いついていかないような感覚。

自分は、まだまだ未熟、まだまだ未熟、技術が足りない、技術が足りない。

このエンドレスな感覚からいつ抜け出せるんだろう?

そう考えると、背筋がぞっとするのと、気が遠くなるのと・・・

気が狂いそうになりました。
(というか実際に過呼吸になって涙が出てパニックみたいになりました。)

 

そりゃ、苦しいし、病気にもなるよね。

 

今、当時の自分に伝えたい。

ほんと、よく頑張ってるよ~。

足りない技術もあるかもしれないけど、

積み上げてきた技術もあるじゃん。

1人で抱え込まないで~

もっともっと周りの人に相談して~

こんなこと聞いたら恥ずかしいかな~

前も同じこと質問しなかった?って怒られないかな~

って心配になるよね~。

でも、わからなくて進まないよりいいじゃん。

もっと、できない自分さらけ出していいんだよ~。と・・・。

 

今日も最後までお読みいただいてありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

20代の頃のうつの原因

20代前半の頃、「抑うつ状態」という診断で、

会社を1か月病欠しました。

それが、人生初の大きな挫折だったように想います。

それまで、大きなケガや病気をすることなく、

留年、浪人をすることも無く順調に来ていた私でしたが、

そのたった1か月の病欠で、

昇給、昇進が同期入社の仲間たちより遅れ、

仕事を頑張りすぎてこうなったのに、

逆に、自己管理能力が低いという烙印を押され、

仲間たちから遅れをとるという現実。

どれだけ悔しい想いをしたかわかりません。

 

愛知県の某短大の電子工学科を卒業した私は、

某電機メーカーで、半導体製品などの試験機を設計する仕事をしておりました。

30年前は理系女子が少なく、

私の所属していたハードウェアを担当するグループでは、

私が初の女性技術者でした。

私は初の女性技術者というプレッシャーから、

できる自分で在りたかったし、

たとえできなかったとしても努力している姿だけは見せようと、

がむしゃらに頑張っていました。

 

誰から言われたわけでもないのですが、

私が頑張れば、この後、もっと女性技術者の道が開けるかもしれない、

逆に私が使い物にならなければ後に続く女性技術者の道を閉ざしてしまうかもしれない、

やっぱり女には無理だよなと思われたくない、

女だからって甘えてると思われたくない、

と勝手に想っていました。

この非合理的ビリーフ(思い込み)が、

自分自身を追い込み過ぎる原因となっていたことに、

今だからか気付くことができますが、

当時、今のように自分を俯瞰したり、内省したり、フィードバックを受けたりして、

自己認知するという術(すべ)を知らなかった私は、

自分自身が自分を苦しめていることに気付くどころか、

ますます自分に無理をさせていました。そして、

最終的には精神性疾患を発症するまで追い詰めてしまったのです。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子