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自己肯定感ブログ

「嫌い」を受け入れることのすっきり感

「いい人」星人だった私は、

(今も「いい人」星人の要素はありますが、
「いい人」を脱ぎ捨てた提にしたいので、
敢えて、過去形にしています。)

人を嫌いになっちゃいけない、

という言う思い込みが強く、

心のどこかで、不信感、不快感を感じる相手でも、

無理矢理好きになろうという傾向がありました。

最近は、だいぶ、その思い込みが弱まったので、

「この人あんま好きじゃない」「この人嫌い」

というのを、敢えて表現しないまでも、
(家族や信頼できる人には言うこともありますが・・・)

自分の中では受容できるようになっていました。

 

しかし、今、新たに、自分でも意外な人物のことが、

「嫌い!!!」というのを、自覚し、
(実はうすうす感づいていたのを気付かないふりをしていた気もします。)

「私、〇〇のこと嫌いだったんだ~」という気持ちを認め、

「よく、認められたね、偉かったね。」という気持ちにもなり、

とっても心がほっとしているというか、すっきりしているというか、

穏やかな気持ちになっているのです。

 

大好きでいたい人のことを、

実は嫌いだった(いつの間にか嫌いになっていた)と認めることは、

私にとってすごく勇気がいりましたが、

すっきり!という感情が、全てを物語っていると想います。

 

そこには、憎しみという感情はなく、

嫌い!を嫌いなまま受け入れたからこその、

「嫌いを含めて好き」みたいな不思議な感覚すらあります。

 

この経験が誰かの何らかのヒントになりますように・・・

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

背徳感が爽快感?

皆さんは、健康にあまりよくないからと、

気を付けていることってありますか?

 

改めて、自分自身にこの問いを投げかけてみると、

甘いもの食べすぎちゃいけな~い。とか、

夜遅くにこってりしたものを食べちゃいけな~い。とか、

2~3階くらいなら、エスカレータなどを使わず歩こう。とか、

寝不足にならないようにしよう。とか、

ストレスに注意しよう!とか、

意識的にも、無意識的にも、案外、

自分自身に気を使っていること、

制約をかけていることってあるもんだな~と気付きます。

 

今日は、長男を支援する目的で山梨を訪れておりました。

予想以上に時間がかかってしまい、夕飯を食べよう!ということになったのがPM9時。

おなかがペコペコで、「どこで食べる?」と考える余裕もなく、

たまたま、その時近くにあって、

まだ開店していて(ラストオーダー9時半でぎりぎりセーフ)

良さげな雰囲気のカツ料理屋さんに入りました。

 

写真付きメニューをめくっていくと、目に留まったのが、

赤味噌の味噌煮込みかつ。

名古屋在住の友人に、名古屋飯を食べに連れて行ってもらったことがきっかけで、

赤味噌料理が自分の好みであることに気付いた私。
(私山本と同じニックネームの某居酒屋さんのどて煮に惚れました(^_^))

もうこれは食べるしかないでしょ!と即決。

普段の私であれば、夜遅くにこってりしたものを食べることはまずしませんし、

あったとしても、量を少なめに食べるなど制限をかけます。

でも、今回は、めったに訪れる地域でないし、おなかもペコペコだったため、

自分を解放し思いっきり食べ、完食!!!

普段、やっちゃいけない!と自分に抑圧をかけていることを、

「思いっきり破ってやったぞ!!!」という背徳感が、

なぜか気持ち良くも感じられるという、

普段の私にはあまりない不思議な感覚になりました。

 

もちろん、法律を犯したり、ルールを破って人に危害を与えてはなりません。

マイルールであっても、それを何度も破ることによって起こる弊害はさける必要も、

あると想います。

でも、たまには、「マイルール」を思いっきり破って、

爽快感を得るという方法で自分をご機嫌にすることもありなのかな!

という気付きを得ました。

 

あなたは、たまには思いっきり破ってみたいマイルールはありますか?

あるとしたら、それは何ですか?

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

期待と現実とのギャップにより受けたショックから立ち直る方法

今、けがをした足の治療中なのですが、

経過が順調かつ、別の事情もあり、

当初の予定より、

かなり早くギブスが取れることになりました。

今日はその、待ちに待ったギブスが外れる日でした。

 

10年ほど前、足を骨折し、

ギブスを1か月ほど装着していた経験があるので、

ギブスを外したからと言って、すぐに、自由に、

歩くことができないということは知っていました。

そうは言っても、ギブスが外れることの、

気持ち面、物理面、両方ともに感じるであろう、

開放感、安心感には、かなり期待を持っていました。

 

しかし、以前のそれでは、経験しなかった予期せぬ事態が起こり、

開放感をはるかに上回る不安感、

ガッカリ感に苛まれたのでありました。

 

その原因は、「痛み」です。

 

10年前ギブスを外した後、強い痛みを感じることはありませんでした。

別の危惧を装着することもありませんでした。

でも、今回は、同じ足でも、骨折した部分が違います。

治療法も違います。年齢も違います。

ギブスを外して、5~6時間経ってから、徐々に徐々に幹部の痛みが強まり、

我慢するのが辛くなってきました。

この強い痛みは何なのか?

その原因が不明なため、不安感も増大し、

同じ日に、2度受診するという事態となりました。

 

「痛み」は心身を弱めますね( ;∀;)

 

「痛み」の原因は骨折が悪化した等の問題のある痛みではないと、

CT検査の結果から担当医の先生が診断して下さり、

ほっと一安心しました。とは言え、強い痛みは怖いです。

 

新しい危惧の装着に徐々に慣れること、

足のむくみを取ったり、

そもそも足がむくまないようにすること、

これからも、しばらくは強い痛みが起きる可能性もあるので、

そういう時は、保冷剤で冷やすことなど、

医師からご指導いただき、帰宅しました。

 

不自由な体での外出は、ただでさえ、普段の10倍位疲れる感覚なのですが、

今日は、医療機関を2往復し、その間に、

どうしてもしなければいけない公共の手続きもあったため、

心も体も疲労困憊。

疲れた心身には、期待と現実とのギャップがかなり応えたらしく、

しばらくの間1人泣いておりました( ;∀;)

敢えて、自分を、泣きたいだけ泣かせ、ふて寝もしました。

しかし、本日中にどうしても返信したいメールがあったことを想い出し、

気を取り直さなければ!と想ったタイミングがありました。

まだまだ気分は沈んでいたのですが、

そこは、踏ん張って、意図的に意識を変えるよう心掛けました。

 

そして、そんなすさんだ心を復活させてくれたのが

感謝です。

 

タイミングよく、Lineくださったメンターの在り方の高さに触れたことや、

時間外なのに対応してくださった、担当医、看護師、病院の方々へ、

ありがとう!を連発していたら、

深い気分の沈みから、抜けることができました(^_^)

セルフマネジメントを学び活用できた実感が持てた瞬間でした。

 

そうそう、感謝は自分にもしましたよ。

自分のために、よく、2回も受診に行ってくれたね。

大切な、用事も済ませてくれてえらかったね。

ありがとう。と・・・

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

 

  • Category:感情
  • Author:mind-labo

自分がしてもらって嬉しかったことも1つの指標

皆さんは、相手が喜ぶことをしてあげたいな。

と想ったとき、どうされていますか?

 

自己肯定感が低く、

自分を卑下したり、

自分のことをぞんざいに扱っていた頃の自分は、

相手のために!と想ってとっていた言動が、

実は自分の保身のため、

自分が良い人に思われたいがための行為が多かったと、

今振り返るとわかります。

それはそうです。

自己否定、自己卑下の状態は、自分に余裕を無くし、

自分に余裕がないと、

例え相手に喜びを与えたいと想っていたとしても、

その余力が残っていないということも多々ありますから・・・。

 

しかし、10年近く、自己肯定感を整えたり、

セルフマネジメントを学んできた現在は違います。

「相手が喜ぶことは何だろう?」という視点が、

ちょっとずつですが、持てるようになってきたのです。

視点を持つだけではなく、

実際に、行動にも起こせるようになってきました。

 

なぜ、行動に起こせるようになってきたか?

「最初は、相手に喜ばれることをしたい!

でも、わからない。」

という感覚が強かったと想います。

そんな中、とりあえず、

「自分がやってもらって嬉しかったことは他の人にもしよう。」

という意識を持つところから始めました。

自分がしてもらって嬉しかったことは行動にも移しやすかったこともあり、

徐々に行動の幅が広がっていったように想います。

 

もちろん、私がしてもらって嬉しかったことが、

ほかの人が全て嬉しい!と感じるとは限りません。

自分は嬉しいけど、相手にそれをやったら

「いまいち」だった、

といったことも時にはありました。

でも、その行動を起こしたことで、

相手の好みや特性がわかるので、

以降、その方とコミュニケーションを取る時に役立つというメリットもあります。

 

あなたが、両親、パートナー、友人、同僚、上司、先生、メンターなど、

周囲からしてもらって嬉しかったことは何ですか?

誰に、喜びを与えたいですか?

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

 

 

親ばか&負けず嫌い

東京に住む次男が、

短期帰省で長野に帰ってまいりました。

前回、次男に会いに東京へ行ったときは、

限られた時間の中で、用件だけ済ませて帰って来ましたが、

今回はお互いに時間に余裕があったため、

ゆっくりいろんなことを話すことができました。

 

次男の東京生活もこの春で4年目に入りました。

上京の目的は、バンド活動です。

これまで、いろんなことがあって、

周囲から、何度、

「もう、長野に帰ってきなさい!!!」

と言われたかわかりません。

私も、言ったことがあります。

でも、次男は、ずっと、

東京で、東京に居るバンドメンバーと、

音楽活動をしたい!そこだけは譲れないと、

頑張り続けてきました。

昨年の12月に渋谷の小さなライブハウスで、

彼らの演奏を直接観させてもらったことも大きかったのですが、

今ではその熱意に、

「長野へ帰ってこい!」なんて言えないどころか、

「東京でとことん頑張ってほしい!」という気持ちになっています。

 

そんな、次男が、「バンド活動はどう?」という私の質問に、

5月は東京で4つ、神奈川で1つ、

ライブ出演が決まっていると話してくれました。

地道に頑張って、活動の幅を広げている息子の勇士を、

また観に行きたい、応援したいと想うのと同時に、

私も、負けていられない!!!

MindLaboの事業拡大を少しずつでも進めて行きたい!!!

と想うのでありました。

 

人が純粋に頑張っている姿には心打たれますね(^_-)-☆

ましてやそれが息子なのですから、なおさらです。

 

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jackmay_1188

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

自分がやられて嫌なこと

「自分がやられて嫌なことをほかの人にやってはいけない」

子供のころから、周囲の大人たちに言われてきた言葉ですし、

自分自身も、子供たちに伝えたことがある言葉です。

人として、これは守るべきことだと想います。

 

ただ、この言葉を頻繁に使うのには注意が必要なのでは?!

という気付きを、あることをきっかけに得ました。

それは、極端なことを言えば、

「自分が嫌だと想わなければ、相手にはどんなことをしてもいい。」

という考え方もできるということです。

実際にそういう言動をしている若者を目の当たりにしたのです。

 

自分がやられて嫌なことと、相手がやられて嫌なことは、

必ずしもイコールではありません。

また、自分が経験したことがない事柄であれば、

それをやられて嫌か、嫌じゃないかわかりません。

従って、「相手」を主語にして、

相手は嫌かもしれない、

という視点と、想像が必要なのではないかと想うのです。

 

「自分がやられて嫌なことをほかの人にやってはいけない」

プラスして

「相手が嫌そうなことも想像(思考)する」

幼少期には難しいことかもしれませんが、

頭脳が発達していけば想像するということも出来ると想いますし、

想像する力を養っていくことの方が、

社会生活を皆がより円滑に送ることに役立つのではないかと想います。

 

そういう私も、相手の立場にたってものを考えるということは、

まだまだ、道半ばです。

わかるとできるは違いますね(^_^;)

鍛錬、鍛錬。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

 

二人の共通点

昨日の投稿で、怪我をして、改めて、

頼れる人の存在が必要だな~感じた

という内容の投稿をいたしました。

 

それに関連して、

私の知人、2人の方のエピソードを想い出しました。

お二人とも、1人暮らしをしていらっしゃるのですが、

まず、Kさんのエピソードです。

 

Kさんは、大きな畑を1枚所有しておられ、

ご自分で食べる野菜や遠方に暮らす家族に送ってあげる野菜を作っておられます。

それにプラスして、近隣のスーパーの地物野菜コーナーへも出荷しています。

そんなKさんは、苗を植えたり、種をまいたりした後、

病気が発覚し、1年くらい、農作業は控えた方がいい状態になりました。

「今年は農作物は諦めよう。でも、雑草の処理だけは困るな~」と想っていたら、

草取りはお友達がやってくれ、

農作物の方も、一緒に出荷している仲間の方がやってくれたのだそうです。

 

次に、Eさんのエピソードです。

Eさんは、高齢の方で、ここのところちょっと足も弱ってきました。

それでも、手押し車を使って、近所のスーパーまで歩いて買い物に行かれる、

とても、前向きで、アグレッシブな方です。

今年、長野は雪が多かったのですが、

Eさんのことが気になって、「雪かきどうしてる?」と尋ねてみると、

隣の若夫婦が、うちの分までやってくれるから~とのことでした。

 

私が観る中でお2人には共通点が大きく3つあります。

1つ目は、いろんなコミュニティーに、

参加している(していた)ことです。

地区の運動教室や、カラオケ教室、趣味をやるサークルなど、

家に閉じこもっているイメージがお二人ともありません。

 

2つ目は、「与える」ことが多いです。

人をもてなすことに、お二人とも長けています。

 

3つ目は、「ありがとう」の言葉が多いです。

恐らくご本人は気付いていないと思います。

なぜなら、とてもネイティブに「ありがとう」が出てくるからです。

心に「感謝」の気持ちを持っているから、

自然と出てくるのだと思います。

 

お二人の在り方を見習わせていただき、

私も在り方を高めていきたいと思います。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

元気なときにやること

現在、足のけがの治療中で、

足が自由に動かない生活をしております。

怪我をしてから、2週間が過ぎ、

この生活にも慣れてきています(^_^)

(最初はどうなるかと想いましたが(^_^;))

 

気持ちや、生活も落ち着いてきて想うのが、

頼れる人の存在が必要だな、ということです。

普段、一人でいること、一人で行動することに関して、

寂しいとか、心細いとか感じることはほとんどありません。

(もしかしたら、その感情とつながらないように、

無意識にコントロールしているのかもしれませんが・・・)

しかし、病気やケガをしたときは違います。

特に今回のけがは、長期の治療が必要かつ、

日常生活への支障が大きいです。

 

リスクヘッジを目的として、

友達をつくる、人脈をつくる

というのも、それはまたちょっと違うと想うのですが、

この人とは心通じ合うな、関係性を深めたいなと思う人とは、

その気持ちに素直に従って、普段から、

その関係を大事にしておかねばならないと、

今、こういう状況だからこそ想うのであります。

 

この経験が誰かの役に立ちますように・・・

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

かわいくない自分をかわいいと想う

今日は一人でスーパーに買い物に行きました。

今、負傷した足の治療中で、

一人で買い物をするには、

誰かの手助けが必要な場合も多々あります。

ただ、足を怪我してからちょうど2週間がたった今、

何度か一人でスーパーに買い物に行くという経験を重ねたことで、

だんだん、足が不自由な状態でも、

買い物をするコツが掴めてきました。

 

そんな中、近くにいらっしゃった年配の店員さんに、

頼もうかな~。でも、一人でやってもできそうだな~。

忙しそうだしな~。やっぱり一人でやってみよう!

と決めて、トライしていたことがありました。

ちょっとふらついたりもしていたので、

見かねたその店員さんが、

「ちょっと待って」と声をかけて下さり、

結局、手助けしてもらうこととなりました。

 

いつもの私だったら、

あれとってもらっていいですか~とか、

ちょっと手伝ってもらっていいですか~とか、

言えたはずなのに、

(実際にそうして、この2週間は買い物をしていました。)

何故か、今日は素直に頼ることができなかったのです。

 

私は、その時、恥ずかしい気持ちになり、

家に帰ってからも、気持ちがモヤモヤしていたので、

あの時のできごとや、自分の気持ちを振り返ってみました。

そして、あの時感じた恥ずかしさは、

本当は頼りたいのに頼れなかった自分に対する恥ずかしさであり、

気持ちのモヤモヤは、そんな自分を、

ほんと、かわいくない!と責めていたことから来るものだと、

気付きました。

 

いつもは、頼めるようなことを、

なぜ、意地になって一人でやろうとしていたのか?

原因は正直わかりません。

もしかしたら、

自己肯定感が下がっていたのかもしれません。

 

いずれにしても、そんな自分を、

かわいくない!と責めるのはやめようと想いました。

だって、辛いですから・・・

 

なんかよくわかんないけど、

一人でできる!って思いたかったんだよね。

素直に、頼めないときだってあるよね。

ちっちゃいことに、意地張ることだってあるよね。

そんな、かわいくない自分を、なんだかちょっと、

かわいいと想えるようになりました。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子

 

 

 

自覚と受容のタイムラグ

視力、筋力、持久力の低下、

体形の崩れ、しみ、しわ、などなど、

年齢とともに変化していくものです。

そりゃ、51歳の私が、

20代の頃のようにいられないのはわかっています。

頭ではわかっているけれども、

なかなか受け入れられないのが、身体の衰えです。

 

皆さんは、「身体の衰え」すぐに受け入れられますか?

 

現在、足をけがしているのですが、

その経過を診てもらうために、整形外科を訪れました。

治療の経過は順調とのことでほっといたしました。

そんな中、医師とこんな会話をしました。

 

医師:
山本さん、歩いてますか?

私:
いえ、あまり歩いてないです。慣れない松葉杖で転倒でもして、
二次的な怪我をするのが怖くて・・・。

医師:
山本さんの年齢だと、足を地面に着かない時間が長くなるにつれ、
骨粗しょう症進行のリスクが高まるので、
松葉杖を使って、できるだけ歩いてください。

 

私は、二次的な怪我を負うリスクばかり考えていて、

骨粗しょう症進行のリスクを考えておりませんでした。

そういった意味では、医師から、

骨粗しょう症進行のリスクを自覚させていただけたことは、

大変ありがたく思っています。

 

ただ、それとは別に、

ある一つのワードが引っ掛かっている自分がいるのです。

 

「山本さんの年齢だと・・・」

 

山本さんの年齢は骨粗しょう症が進行するお年頃なのです。

知識としては知っていたものの、

現実としてそれを目の当たりにしたのが、案外ショックで、

なかなか受け入れられなかったのだと思います。

だから、しばらく、

「山本さんの年齢だと・・・」

というフレーズが頭の中に残っていたのだと思います。

(決して医師の発言に対して批判しているのではありません。
とっても感謝しております。私の受け入れる体勢の問題です。)

 

医師からご指導いただいた通り、

今日は、できるだけ歩く機会を増やしてみました。

今まで、足を怪我をしたからできないとか、

怪我をしたくないからやらないと想っていたことも、

やろう!と決めたらできて、うれしかったです(^_^)

 

日常の些細なこと(ゴミ出し、散歩など)ができるって、

幸せなことなんだな~と、

しみじみ感じております。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

MindLabo代表 山本智香子